FXで主婦が空いた時間に、片手間副業FXで、簡単に1億円、そんなキャッチや友人・知人の「儲かるって~!」という言葉でFXを始める。
しかし、現実はそんなに甘くはない。
当然ながら簡単には勝てずに投資資金を減らしていくことになる。
そこからが本気で勉強だ。
本やネットからヒントを得てトレード、インジケーターを探してきてはトレード、手法を見つけてきてはトレード、しかしそれでも結果は出ない。
投資資金は減る一方だ、資金が減っていくという目に見えるマイナスに追い詰められていく。
魅惑の勝てるFX教材が今ここに
そんなときネットで魅惑のキャッチコピーを見つける。
「PF〇〇%!過去10年間で驚異の〇〇倍!〇〇年間負けなしの驚異のロジック!」
それはまるで暗く曇った天から垂れる光り輝く1本の蜘蛛の糸のようにも思える。
魅惑的な文字が並ぶ、もう目は離せない、これを無視していられるはずもない、震える指に活を入れマウスをクリックする、落ち着け~、焦ってトリプルクリックしてしまったことは妻にも内緒だ。
ページを開いてみると「ほんとにそんなことできるのか!」「見てみたい!知りたい!」「これで勝てる!」と思わせるようなFX教材のセールスレターだ。
「ああ、これで救われる!」
ドキドキする、それは希望だ、希望以外のなにものでもない。もしここでバックミュージックが流れ出すとしたら「青雲のうた」一択に決っている。
「もしかして、ネット上にはこんなものがたくさん売られてるのか?」
と思って調べてみると出るわ出るわのFX教材の山。
気になるいくつかの教材のセールスを見ると、どれもが魅力的で知識欲をも刺激するものだ。
どれが良いのかわからず候補を絞った上でランキングやおすすめを見て購入に踏み切る。
購入し内容を見て知識欲が満たされる「ああ素晴らしい!」「こんな方法があったのか!」「確かにこれなら勝てる!」「すごい勉強になる!」
多くの満足感を得て実戦に臨むトレーダー、不安の一端は解消され知識欲も満たされた、あとは結果を残すだけ!準備は完璧だ!トレード開始だ!
結果は・・・・・・・・・・
勝てない、勝てない。
なぜ勝てない?おかしい、勝てるはずなのに。
これではやはり駄目なんだ、別な方法を探さねば。
しかし、一度知ってしまったFX教材、もう意識は逃れられない。
あまりにも甘美だ、なにせ自分が努力することを必要としない完成品がそこにある。
勝つための努力をするのでもなく、勝つ方法を探すのでもなく、FXを教材を探すことに全リソースを注ぎ込む。
どれが勝てるんだろう?
魅力的なセールス、ランキング、おすすめ、を見て購入する教材を決めて購入する。
そして、またくるこの感覚。
「ああ素晴らしい!」「こんな方法があったのか!」「確かにこれなら勝てる!」「すごい勉強になる!」教材の内容を見て知識欲が満たされる。
多くの満足感を得てまたまた実戦に臨むトレーダー、知識欲も満たしたし、あとは結果を残すだけ!準備は完璧だ!
レッツトレード!
そして、結果は・・・・・・・・・・
勝てない!ああ、なぜ勝てない。
そしてまた教材探しのたびに出かけるトレーダー。
トレジャーハンターの出来上がりだ。
FX教材では勝てない理由
FX教材とはなんなのか?
「FXで勝つための方法」を記したものだというのが一般的なFX教材対する認識だ、これは間違いない。少なくても一般認識として、そして販売する側の認識としては「FXで勝つための方法」を記したものが教材で間違いない。
だが、購入者が教材に求めているものは「勝てる方法」だ。「勝つための方法」と「勝てる方法」同じようで同じではない似て非なるもので、その差が悲劇を生んでしまう。
購入者だってFX教材は「FXで勝つための方法」を記したものだというのはわかってるはずだが、「自身がFXに教材に求めるもの」その心が自分でも気が付かないうちに思考・感覚を歪ませてしまう。
「FXで勝つための方法」から「勝てる方法」へと変化していく、しかし自分では変化に家がつかない。
簡単に言えば、大なり小なりヒントが書かれているのがFX教材なのだが、潜在的に求めてしまうのは「聖杯」なわけだ。
教材がヒントであるならば、そのヒントは成功に至るまでの道をショートカットするためのツールとなってくれるかもしれない。
だが、「聖杯」を求めてしまえばどうなるのか?
「駄目だ!ああ、なぜ勝てない、この方法は駄目だ、別な方法を探さないと」
となってしまう。い、痛、た、た
そんなあなたは立派なトレジャーハンターだ。
しかも、有りもしない宝を探すトレジャーハンターだと言い切っても良い。
FX教材はヒントだよ。そのヒントの大小で価値が決まるものが教材であってそれ以上のものではない、少なくとも大半の教材はそれだよ。
売れないFX教材は商品にあらず
なぜ教材なんてものが存在するのか?
需要と供給の問題だ。
欲しい人がいるから提供する人がいるわけだ。
人が欲しいと思っているものを提供するのが提供する側だ。
「欲しいと思ってるもの」
FXでは「ヒント」ではなく「聖杯」を皆が欲している、基本的に聖杯だけが望まれる。
提供する側としては「売れないもの」は商品とはならない。
仮に、提供者側が「正解」を持っていたとする、だが購入する側が欲しいものとは違うものだとすれば、提供者側としてはその「正解」を商品とすることはできない、売れないからだ。
仮に、「正解ではない」ものでも、それが購入する側の欲しいものであれば、それが提供者側としての商品となる、売れるからだ。
この違いは非常に大きい。
欲しいか、欲しくないか。
売れるか、売れないか。
わかりやすく説明すると、
「手法が欲しい!」「聖杯がほしい!」「一切頭も使わず片手間で同じことをするだけで勝てちゃ手法が欲しい!」と言っているところに「FXの勝敗にはメンタルの占める割合が非常に大きく・・・」というものは売れない。それは商品として成立させづらい。だから売る側も購入者側が欲しいものである「手法」を売る。ここに需要と供給がマッチする。
FX教材を有意義なものに変わる
基本、教材は聖杯ではなくヒントであるということを間違えなければ見る目が変わってくる。
FXで勝てる方法はある、だがそれは万人向けのものでは決してない。
時間、労力、資金、性格、目的、
それらが違えば方法も異なる。
月2%のリターンを目的としているトレーダーと月200%のリターンを目的にしているトレーダーでは求めているものが違う。
オールタイム使ってトレードできる人もいれば、1日夜就寝前2時間しかトレードに時間を取れない人もいる。
たとえ聖杯に近い勝てる方法があったとしても、それは万人に向けられるものではなく、商品としてはなりたたないものとなる。
教材は大なり小なりヒントを与えてくれるものだ、一夜にして勝てるようになる魔法のアイテムでは決してない。
そう理解できれば自分では気づけなかった何かを教材は与えてくれるかもしれない、少なくとも次から次へと新作教材を購入していくこともなくなるかもしれない。
そして販売者側の意図をしっかりと理解した上で教材のセールスを見れば、その良し悪しや与えてくれるヒントが何であるのかも見分けることができるかもしれない。
求めるものが変わればFX教材が有意義なものへと変わるよ。